一年前くらいのことを振り返る 1

数年ぶりにブログサービスに登録したので、記事を書いてみようと思います。

ちょうど引っ越したりしてたのが一年前のこの時期なので色々振り返りとかまとめとこうかなとかいう安易な気持ちで書いているので、文章が支離滅裂だったりするかもしれません。悪しからず。

 

さて、いきなり2017年の年末の話からになります。

この時期にすでに私をTwitterで知っていた人はご存知かもしれないのですが、当時某3プライスメガネ屋でバイトしていた私は糞クレーマー事件で休職しておりました。

で、結局年明けの年始セールで駆り出され、店長から「接客業してく上でクレーマー案件が警察呼ぶレベルになったくらいで休職するようなメンタルなら、今後を考えたら?」とクソみたいなお言葉を頂き、色々と考えた結果1月で有給消化して辞めました。

今まで何回かフリーターとはいえ転職(と言っていいのだろうか)した際には次の仕事の目星をつけるなり、面接受けて採用が決まってから辞めたりと次が決まってないという不安がほぼない状況しか経験してなかったので、この先どうすんだろうね…と思いながらとりあえず12月の休職期間とか1月の有給消化期間は遊び回ってました。

(12月の時点で本社の対応やらも色々不満だったので辞めるつもりではいた)

 

2月は12月のお休み期間に傷病手当金の申請をしてたのでそこそこのお金を得つつ、病院に行きつつ、色んな所いって遊んでました。(主に大阪とか大阪とかたまに京都とか兵庫とか)

 

で、結局新しく仕事を探す気にもなれず3月になってしまったわけですが、まぁ何に困るってお金に困るわけですよね。そらそうでしょ。

私の選んだ手段はとりあえず風俗でした。

普通に働くの絶対ムリだわってメンタルだったのもあるだろうし、2月に当時の彼氏と別れたりしてもうどうでもいいやの気持ちもあったからなんですが。

まぁ、数万くらいはそれで稼いでその月はしのぎました。

その頃には家の空気も割と険悪で、元カレの家に居候したり、ネカフェ難民して遊んだり、オフパコしてそのままホテルとまったりで家からなんとかして離れて生活してたような記憶もあります。

 

3月の初旬か中旬くらいに今の同居人から「もういっそ大阪引っ越してくればいいんじゃないの」というありがたいお誘いを頂き、金銭的にも色々支援を受け、引っ越しが猛スピードで決まって、数週間で岐阜の魔境から大阪の住宅地にお引っ越しと相成りました。

 

引っ越しってかなり面倒なのを想像していたのですが、そもそも私は専門学校の頃から数年間、人様の家に居候する生活をしていた時期もあったので自分の服とか物とかにあまり執着がないのもあり、荷物は私が乗っていた軽自動車で十分に積み込める程度しかありませんでした。

家を出ていくときも、想像していたより親も反対せず、父親に少し文句を言われた程度でした。正直父親とはそこまで仲も良くないのでぶっちゃけどうでもよかったですね。

 

で、引越し当日。

前日に同居人に岐阜まで来てもらって積み込んでおいた荷物を持っていってもらい、私は車を実家において電車で大阪まで向かいました。

そのあともうすでにガスと電気が手配されて家電付きな上、ロボット掃除機が鎮座する今の住居に到着して、お引っ越しほぼ完了、みたいな感じでしたね。

引っ越し決定から引っ越すまでがおおよそ2週間位だったのでその間がめちゃくちゃワクワクした気持ちでいっぱいだった気がします。確か。

このあとの数日感で色々と住民票の移行とか免許の住所書き換えとか面倒な手続きをした記憶もありましたね。

びっくりしたのは転出届を貰いに行った地元の市役所は待ち時間ほぼゼロで書類もすぐもらえたのに対して、引っ越してきたほうの市役所は書類の提出をしたあと一時間弱待たされたり、自動発券機がおいてあって番号が電光掲示板に出るという規模の違いです。(そもそも元住んでいた市が平成の大合併で頑張って市になっただけで人口も3万切ってるような場所だっただけ)

3月末から4月初旬にそのへんの手続きをしたので混み合っていたのもあったかもしれません。もう引っ越しはしたくないなと思いました。めんどくせぇ!

 

というわけで一年前のお引っ越し事案をざっくりまとめました。

また気が向いたら親知らず抜いた話でもしようと思います。