通院1周年

どうも、お久しぶりです。

希死念慮がくそ酷いマンです。

 

今回はなんとなく備忘録的な感じで通院始めて1年以上経ったので経過というかそんな感じのことを書きたいなと思います。

 

そもそもなんで病院行ってんの?って話なんですが前々前社でいろいろメンタルやられて上司から病院行きなっていわれたからなんですけど。

結局行ってみてよかったなってなってます。理由は後述します。

 

さて、現時点で病名ついてるのがADHDASD双極性障害II型の3つですね。

(言われた記憶を頼りにしているので間違っている可能性もなきにしも)

 

双極性以下略に関しては岐阜に住んでた時にも診断されたことがあるしまぁ…って感じなんですけどADHDASDに関しては診断されなかったんですよね、7年位前は。

で、結果的に今コンサータっていうADHDの薬処方してもらって今までクソほど悩まされてた昼間の眠気とかその辺落ち着いてきた感じです。コンサータ飲んでも多動性とか衝動性はあんまり収まってない気はする。衝動買いは多少減った気がするけど。

行ってみてよかったなっていうのはこの診断が下りたことなんですよね。

今まで普通、って言われてたけど普通を保つのがしんどいってなってたので。

 

大っぴらにすることでもなんでもないんですけど、自分がそうである以上気を付けられる部分も増えたし、どうしようもないって諦めもつくようになったし。

そんなこんなで病院行ってよかったなとは思ってます。

 

前々前社の上司は「治ったら戻ってきてね」って言ってたけど今更戻るのも気が引けるので気が済むまでおとなしくしてようと思います。

 

つい先日まで某まじめな百均で働いてたけどそれすら出来なくなってたのでだいぶメンタルは死んでますが肉体も死にかけなのでほどほどにお出かけできるくらいには元気になりたいですね。

 

最近はお布団と一生おともだちなので何かおすすめの趣味があったらTwitterででも教えてください。

 

ではではこの辺で。

 

美味しいものの話

ブログのお題をゆるゆる募集したところ『大阪でおいしいと思った食べ物・お店』的なお題をいただいたので早速書いていこうかなと思います。

 

正直なところ大阪!って感じの食べ物はあんまり食べていないんですが美味しかったなと思うのは

・りくろーおじさんのチーズケーキ

これは普通にふかふかでおいしいチーズケーキなのでレーズン駄目じゃない人は食べてみてほしいです。

 

・なんか難波のたこ焼き 有名なとこのやつ

わなかかくくるだったと思うけど美味しい。粉ものだいたい美味しい印象。

でも大阪観光来た人としか食べないのでなかなか食べる機会ないかな。

 

・シンセツのクリームソーダとパンケーキ(これは京都)

お店がインスタ映えする感じのところ。クリームソーダの色が種類多くておしゃれなのでマジで京都来た人は連れて行ってる。

パンケーキは出してる時と出してないときあるけど運よく出てるときだったら食べてみてほしい。ふかふかで鉄板に乗ってるのでもうなんか最高って感じになれる。語彙力。

 

・神座のラーメン

これ岐阜にはなかったと思うから書いたけど白菜と豚肉炒めたのが乗ってるしょうゆベースのラーメン。岐阜タンメンが恋しくなったら代わりに食べてる。

 

とかですかね…?

だいたい何食べても美味しいと思うし、それよりも大阪に引っ越してきてから食には困ることのほうが多いので話が少しそれてしまいますがその話でもしようと思います。

 

基本的に私は岐阜に住んでた時、外食といえばスガキヤくら寿司、丸亀正麺という超庶民的な食べ物しか食べていなかったうえ、他でも歌志軒、岐阜タンメンくらいしか食べに行くことがほぼ無かったので関西にスガキヤだの歌志軒だの岐阜タンメンがないことに大変絶望しています。

車生活でもなくなったので、なかなか回転寿司に行く機会もなく。

イオンモールに行く機会も減ってしまったのでフードコートの丸亀正麺にたどり着くことも少なく。

どちらかといえば関西にきて食べていたものがなくなったことのほうが多くショックを受けた記憶がありますね。

あとバローがほぼ無くて北欧倶楽部のパンが食べられなくなったことも悲しいなぁと思っています。

 

スーパーもマジで物価が岐阜と比較したら高い印象はあるし、お惣菜も味付けとか若干なれないなぁという感じが今でもしています。

引っ越して4年たった今、スガキヤクスリのアオキとドラッグコスモスとバローとカネスエがある関西に住みたいなと思っています。岐阜には帰りたくないけど岐阜のお店は恋しいですね。

 

また纏まりのない文章になってしまいましたが今回はここまでで。

次回の記事までさようなら。

歴代の話

元彼が相互フォロワーに多すぎて書ききれない問題が発生しそうなんですが、せっかくお題を頂いたのでなんとなく書いてみようと思います。

別に面白い話でもないけど初めて彼氏が出来たのって今から10年ちょっと前で、そこから6年か7年彼氏が途切れることが無かったと思うと面白いですね。


だいたい付き合う→私の許せないポイントが貯まる→限界を迎えて次の候補を見つけて別れを突きつけてその日か次の日にはそいつと付き合う

このルーティンで彼氏取っかえ引っ変えみたいなことしてたんですが今思うと気が狂っとるな……


許せないポイントってなんだよって思われそうですが、純粋に私が許せないと思ったところが積み重なっていってたってだけですね。溜め込んで爆発させて他の男に逃げるとか最低にも程がある。

でも今までで1番許せなかったのは私の交友関係に口を出してきた初代元彼だと思っています。あれだけは許せなかった。


で、しばらく特定の相手を作らない時期を経て今なんだかんだで交際相手がまた出来たわけですが。

過去の負のループを繰り返さないように頑張りたいしそろそろアラサーなので結婚まで行けたらなとは思っています。


特に面白い記事にならなさそうなのでここまでで。

個人的に聞きたい話がある人はDMでもなんでもしてきて欲しいなといつもTwitter見ながら思ってます。


それではまた次の記事までさようなら。

二度目の終焉

本当は一昨日に書きたかったんですが思うことが多すぎて書き切れずようやく手を付けました。

 

プリパラのサ終ですね、今は前回のときよりプリズムストーンにアクセスしやすい環境なのでそこまでめちゃくちゃにダメージを受けているわけではないですがやっぱり切ないし寂しい思いがいっぱいになってしまいますね。

マキナちゃんでデビューした日のことも昨日のことのように思い出せるくらい私の人生で割と思い入れのあるゲームだから本当はサ終前にもうちょっと遊んで録画しにも行きたかったんですが、諸事情でそれもできずちょっと悔しい思いをしています。

たくさんマイキャラも作ったし、設定も練ってるときすごく楽しかったし、アニメのほうもリアルタイムで追ってた時は心の支えになってくれたし。

何よりも自分が好きな物をたくさん見られて楽しいゲームだったなって。

服のデザインもプリチャンをディスるわけではないけどプリパラのほうが大好きなコーデが沢山あったし、マイキャラパーツもお気に入りがたくさんあったし。

とにもかくにも大好きだったものが終わってしまうのはやっぱり悲しくなるなぁって感じ。

 

1回目のサービス終了からしばらくして復刻ロケテが開催された時、ものすごく嬉しくて家から時間かかる場所だったのに必死に並びに行ったのもいい思い出だったな。

それからしばらく稼働続いてたからお金に余裕のある時は回してたけど、その時に友達からもらったトモチケで一緒にライブするのが一番好きでした。

マイマネ制度とかマイドリチケとか懐かしいなぁって思って、検索かけてトレードとかする元気があったころに戻りたいなと思ってしまいます。

 

ここ数年ですっかりメンタルが滅茶苦茶になってしまったので本当にちゃんと遊べなかったまま終わってしまったのだけが残念で仕方ないのだけれど、大好きでした。

ありがとうプリパラ。

 

なんか書いてて自分で気持ち悪いなと思ったのでここまでで終わろうと思います。

ブログ自体は書きたいことがあるので今後また更新できたらいいなというところです。

それでは次回の更新までさようなら。

 

2021

もう師走ですね。

一年前の自分の記事読んで思ったことがあったのでつらつら書きなぐるやつをしようかと思います。

前回の記事を知らない人は前回の記事を読んで欲しい。恥ずかしいけど。


今年というか今年度に入ってから仕事を辞めたり始めたりしたんですが、その合間に精神科にかかりはじめたり色々ありまして。

まあ端的に言うと発達障害持ちでした乙やでってのが判明したんですよね。

一応医者が言うにはADHDアスペルガーらしいけど、薬飲み始めたらだいぶADHDはマシになった気がする。気がするだけ。

この結果は結局実家の人間にも話したけど言い訳にせず人生うまくやれ(要約)って言われて、今のところ自分なりに上手くやってけてると思うのに文句言われて腹立つなぁくらいに思いました、まる。


結局のとこみんな何かしら生きづらいとか言われるけど、実際自分が医者にあれこれ言われて納得したからもうこれで頑張れる範囲で頑張るしかないんやなと考えてるので、来年はもっと働けてたらいいなくらいに思ってます。


書いてても文章のまとまりのなさが酷いのでここまで。また気ままに書くかも

寝れん

 マジで最近体内時計が死んでてヤバイ。

 

というわけで寝れない日にたまにやる思考をひたすら書く奴しにきました。

 

先日スマホから下書きに放り込んだものがあったはずなんですが、それを見るのが嫌で結局いちから書き始めています。

 

なんかもうすべてが怖い。

何をするにも他人からの評価や、どう思われるかが気になってしまう。

あと自分のイメージを悪くしたくない、誰からも嫌われたくないという思いに囚われてしまっているような感覚。これがつらくて仕方ない。

私に何も期待しないでほしい、でもされなかったらそれはつらい。

 

最近妹とかとゲームをする機会があったのだけど、そこで私以外の人間と思考がなにもかみ合わないことで自分が出来損ないだと思わされた。

私だけ考え方にしても盤面の理解をするにしても置いて行かれることしかなかった。

元から怪しんでいた自分は発達に何かしら問題があったんじゃないかって思いが強くなった。

まぁ昔からそうなのでは?と疑わしくなることは多々あったんだけど、結局未だに先の予定を入れるのが苦手なせいもあって検査やらなんやらを受けることはかなわないままで。

そもそもメンタルが死んでるから思考回路も死んでるだけかもしれないが。

昔母親に一度だけそうかもしれん、というニュアンスの話をしたらキレられた記憶があるので実家は見放して正解だった。

こういった内容で悩んでいるのすらdisられるんだから。

 

あかん、何書きたかったんか分からんくなってきた。

とりあえず自分が悩んでいることを誰かに話そうというのはたまに思うんだけど、誰に話していいか分からなくなることが多々ある

全部自己責任でしょって思っちゃうから。

きっと私も他人に対してそう思っているからそうなんだけど。

とりあえず自分の身の上話を他人にしなくても平気なくらいメンタル強くなりたい。

 

面白い話もなんにもできなくなった(元からできないが)気がするし、きっとブログ書くのも向いてない。

Twitterは気楽だから続いてるけどブログが続かないのはきっとちゃんとした文章を書かないと、まとまった文章にしないと、って思ってしまうからだとなんだろうね。

 

今は私の人生を犠牲にしてることで存在意義あるんだ、って自己暗示かけて生きてるようなもんだからいい加減すべてから解放されたいね、無理だけど。

 

Twitterでやれというような文章だからここまで読んだ人マジで読みにくくてすまんなのお気持ち。

 

動画見て寝ます。

卒業できない大人

女児ゲー、やる頻度は下がったものの未だに執着してしまう。

 

まぁ、よくある子供のころに制限されたら大人になって反動が来るよねって話題に近い内容。

 

時を遡って小学校高学年くらいの頃の話。

当時は某J系アイドルやお笑い芸人が周りの女子には人気で、この周りの女子ってのはそう多くはない人数だった。

小学校がそんなに大きくないどころか今では廃校の危機って規模だったので本当に周りの女子というのは1つ上の学年の子を含めても10人いないぐらい。

だから必然的にその話題についていけなければ孤立する。

私はその孤立する側にあった。

ただ、それが問題かと言われればそうでもないんだけれど(好きなものを我慢してまで苦手な話題に付いて行くメリットが特に理解できなかったので)

それを許せない人間もいたのだ。母親である。

 

その当時、私はちゃおが好きで購読していたのだが周りの女子は当然少コミやらマーガレットなんかにステップアップしていっていた。

途中でそれはファッション誌やアイドル誌に代わっていった。

私はその流れについていけなかったのである。

大流行していたゲームのラブベリでさえ、周りの子からすれば幼い趣味に見えただろう。

でも私は好きで、やめるのは嫌だなと感じていた。

母親に何度も「いつまでそんなのにハマってるの?」「いい加減アイドルにも興味持ってちゃんと周りの話題に付いて行きなさいよ」などと言われた。

ハルヒの設定資料集を買ってあげるから一冊アイドル誌を買ってそれも読みなさいと言われたこともある。

最近になって、中学に上がるまでは母親もきっと周りの子の中で浮いている自分の子供っていうのが嫌だったんだろうな。と思える程度にはなった。

 

その頃はいじられキャラだからアイツには何をしてもいい、みたいな風潮すらあったので本当に今でもそのネタをみたりするとしんどく感じることもある。

一番良くなかったと思うのは「何をされても自分がされて嫌なことはするな」ってのを曲解して信じ込んだ結果「嫌がらせをしてくる奴はされても嫌じゃないんだな」って発想が出るようになってしまった事だと思う。

あと、大人や少しでも信用している人のいう事は馬鹿正直に信じ込む癖が昔からあり、それが災いして「汚い言葉遣いはやめましょう」「ルールや規則は守りましょう」を守らない人間をすべて悪だと断定していたのも当時生きづらさを感じていた理由だったのだろうなと今は思えるようになっている。

当時は早く死ね、なんて言われまくってたもんだから死ねばいいのかなと思っていた。

 

結局どこに話が持っていきたいのかわからなくなってきたけど、今に話を戻そう。

最近は落ち着いてるけど、一時期は女児ゲーを中心にするような生活をしていたような記憶もある。

やっぱ反対されたものは反動がいつか来るってのは実感した。

 

そのついでに多少のルール違反などにいちいち突っかからなくなったし、他人の発言を昔ほど気にしなくなってきた。

 

もっとあの時、一人でも大丈夫だってわかってたら。

1人でいるのがよくないって風潮がなければ。

中学に上がってから普通に友達出来たし、うまく生きられたかもしれない。

スルースキルがなかったのは致命的だと思う。

今もあるかは怪しいけど、絶対当時よりはマシだと思うんだよね。

 

これだけ書いてはみたけど、当時の事は記憶が若干頭の中で改竄されてるっぽいって最近認識するようになったので…それだけつらかったんだなって。

ちょっと書いて落ち着きたかったのでこれで。